スマートパパの暮らしマネジメント

暮らしと仕事をどうマネジメントするか、考えるブログです。

ひとの感想はもう、読まない

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ひとの感想をなるべく読まないよう、最近心がけている。

作品とクローズドな関係を結ぶには

映画を観た時、本を読んだ時、他のひとが、どんな感想を残しているかを読むのは、とても楽しい。それは答え合わせのような、知的な興奮がある。

隠喩や、オマージュのような表現は、見識者の目線を通せば、同じ作品でも異なる見方ができる。そういう楽しみがある。

なので完全に観ない、という訳ではない。が、観すぎないことが大事かなと最近感じる。 自分が、作品にふれたとき、言語化されている、いないに依らず、好ましいと思った印象があるとする。それが、ひとの評価により上書きされる。

世の評価、感想で、上書きされ、作品の印象は相対的になる。相対化されることで、作品と自分のエンゲージが薄れる気がする。

インターネット普及以前に自分が接した、メディアや、作品がいまでも色褪せないのは、単に多感な時期に出会っていたから、というだけではないように思う。 作品と自分のクローズドな関係が、反芻されていく。

そういった感覚がまたほしいな、と思い、最近はあまり、作品を調べすぎないようにしている。

他人のコメントを読む時間はもうない

最近は、ニュースや、Youtubeといった比較的ライトなメディアにまで、ひとの感想で溢れている。

称賛や、怒声を、読んだところで何も得るものはないのだが、内容のついでに、他のひと達の反応を確認してしまう。そして、本体のコンテンツ以上に時間を費やしてしまう。人が怒っているのを見て、自分も怒って、なんてことに時間を費やしていたら、消耗してしまう。

他のひとの反応を確認する、という行為自体が保守的な印象もある。

これは避けていきたい。そこに時間を費やすのは、少し勿体ないように思う。