スマートパパの暮らしマネジメント

暮らしと仕事をどうマネジメントするか、考えるブログです。

エンタメとアートの間くらいの映画が好きだ(「ロープ 戦場の生命線」)

映画が好きだ。何か惹かれるものがあれば、エンタメに限らず観る。

淡々と進むのに、最後に、「にやっ」とさせる映画が好きだ。最近観た、「ロープ 戦場の生命線」もそんな映画だ。

1995年、停戦直後のバルカン半島。ある村で井戸に死体が投げ込まれ生活用水が汚染されてしまう。それは水の密売ビジネスを企む犯罪組織の仕業だった。国籍も年齢もバラバラの5人で構成される国際援助活動家“国境なき水と衛生管理団”は、死体の引き上げを試みるが、運悪くロープが切れてしまう。やむなく、武装集団が徘徊し、あちこちに地雷が埋まる危険地帯を、1本のロープを求めてさまようが、村の売店でも、国境警備の兵士にもことごとく断られ、なかなかロープを手に入れることができない。そんな中、一人の少年との出会いがきっかけで、衝撃の真実と向き合うことになる

ベニチオ・デル・トロが好きだから、という理由で観た。

でも、友人や家族にこれをおもしろい、と勧められるか、と言われると困ってしまう。

ただ、観終わった後も、いい映画だったなぁと反芻している。

昔みた(画家の半生を描いた)「バスキア」という映画にも近いものを感じる。 「バスキア」にもデル・トロは出演していて、こういった脚本を選んで、出ているのだとしたら、今後もデル・トロが出ている映画を追いかけたくなる(スターウォーズにでてるデル・トロよりずっと素敵だ

映画のあらすじを観ると、死体、ロープ、井戸、と一瞬ミステリ?と思わなくもないが、まったくミステリではない。

主役は、「国境なき水と衛生管理団」である。NPOみたいなひとたち。 治安が安定しない地域の住民へ、衛生管理された水をおくりとどけることがミッションだ。

そんなニッチで危険と隣合わせな職業がなぜあるのか。 どうしてそんな職業につく人がいるのか?と疑問に思うが、そのあたりの理由も上手に撮られている。

そんな「国境なき水と衛生管理団」が、たかがロープ1本を探しにあっちこっち、てんやわんやしながら、危険な地域を彷徨う。ロードムービーのような趣がある。

派手なエンタメではないので、淡々と進むが、最後がいい。 「にやっ」とさせられるし、爽やかな印象がある。映画っていいなぁと思わせてくれる。

なお、今だとAmazon プライムでも観れるので、興味のある方はぜひ(2022年1月現在)

ひとの感想はもう、読まない

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ひとの感想をなるべく読まないよう、最近心がけている。

作品とクローズドな関係を結ぶには

映画を観た時、本を読んだ時、他のひとが、どんな感想を残しているかを読むのは、とても楽しい。それは答え合わせのような、知的な興奮がある。

隠喩や、オマージュのような表現は、見識者の目線を通せば、同じ作品でも異なる見方ができる。そういう楽しみがある。

なので完全に観ない、という訳ではない。が、観すぎないことが大事かなと最近感じる。 自分が、作品にふれたとき、言語化されている、いないに依らず、好ましいと思った印象があるとする。それが、ひとの評価により上書きされる。

世の評価、感想で、上書きされ、作品の印象は相対的になる。相対化されることで、作品と自分のエンゲージが薄れる気がする。

インターネット普及以前に自分が接した、メディアや、作品がいまでも色褪せないのは、単に多感な時期に出会っていたから、というだけではないように思う。 作品と自分のクローズドな関係が、反芻されていく。

そういった感覚がまたほしいな、と思い、最近はあまり、作品を調べすぎないようにしている。

他人のコメントを読む時間はもうない

最近は、ニュースや、Youtubeといった比較的ライトなメディアにまで、ひとの感想で溢れている。

称賛や、怒声を、読んだところで何も得るものはないのだが、内容のついでに、他のひと達の反応を確認してしまう。そして、本体のコンテンツ以上に時間を費やしてしまう。人が怒っているのを見て、自分も怒って、なんてことに時間を費やしていたら、消耗してしまう。

他のひとの反応を確認する、という行為自体が保守的な印象もある。

これは避けていきたい。そこに時間を費やすのは、少し勿体ないように思う。

Google Keepと保育園の献立

夕食は毎日私が作っている。

妻の休みには妻が、とか、私が残業になりそうな時は、交代して、という季節もあったが、バトンが妻に渡った時の機嫌の悪さたるや、犬も食わない代物なので、お互いのために、私が責任をもつこととした。

専業主婦の母の長男として育った自分としては、多少思うところもないではないが、適材適所だろう。

腹をくくれば、よいことだらけで、1年に1度しか使わないような調味料を買われることもなくなった。後、私は洗い物が滅法苦手であり、そこを完全に補ってもらえるのも、よかったように思う。

献立について

炊事も10年以上続けているが、最近楽になった。

たいした工夫でもないのだが、献立を4〜5日分先に決めてしまうというものだ。

夕食作りの最も面倒に感じる部分は、冷蔵庫を開けて、何を作るか考える瞬間だ。作ろうとして特定の部材だけなかった時の、がっかり感たるやない。

Google Keepにまとめて献立を作っておき、終わったらアーカイブ 1〜2ヶ月分、献立が溜まったら、過去のメモを流用すれば、今後考える必要もなくなりそうだ。

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作っても子供が食べなかったときの徒労感たるやない。

5歳の次男坊は、椅子に着座するなり、きょうは食べたくないなぁと思ったら、コップ一杯に牛乳を注いで、それで終わらせてしまう。

次男坊に食べてもらうために、なるべくひき肉料理を増やした時期もあるが、いかんせん、親の胃腸がついていかない。30代後半にもなると、消化できる油の量に上限があることに気付かされる。

保育園のメニュー

そこである日、保育園の昼食に出てくるものを参考にしながら、1週間を過ごしたところ、笑ってしまうほど、ばくばくと食べてくれるから感心した。

当たり前だが、保育園の献立は、幼児がたくさん食べられるよう、考え抜かれているメニューだ。参考にしない手はない。逐一作り方までは乗っていないが、メニュー名を見るだけでも、参考になる。調べようと思えば、Googleで調べればいい。

改めて園の献立をみていると発見がある。

ポークビーンズ / ポークチャップ / チキンサラダ / 中華丼 / 松風焼き …etc

普段作らないようなものばかりなので、面白い。